2008年9月22日月曜日

読み手聞き手の需要


私は何かを人に話すとき相手がそのことについて興味を持っているかどうか考える。十二国記という小説をご存じだろうか。テレビで放映されなかった「図南の翼」という巻があります。珠晶という女の子が王を目指して過酷な旅に出る。頑丘という旅の護衛を雇う。そこで事件が起こる。被害にあわない方法を頑丘は知っていたのにほかの人々に教えなかったことに対して、珠晶は憤りを感じる。珠晶は旅をする中で気付きます。頑丘は別に秘密にしていたわけではなく、聞く耳持たない人に何を言っても無駄だということを知っていただけだったのです。聞かれれば答えるがこちらから言う必要はない、そう思っていただけでした。詳細はwikipediaここで。

つまり話し手がどんなに頑張って伝える努力をしようと、実際伝わるかどうかは聞き手の姿勢次第ということです。話し手としては、頑張って話しても伝わらないのはのれんに腕押しというか骨折り損のくたびれ儲けです。聞き手としては、面白くもない話を聞かされるのは、興味がないし、退屈でしょう。

また何かの本に書いてありましたが中日に落合監督も、選手が一通り自分で頑張って自分ではどうしようもない壁にぶち当たってアドバイスを求めてきたとき初めて指導するらしいです。

つまり私がなぜこのブログを開設したかということを言うために以上のことを説明したのです。実は私はこのブログにそんなにリアクションが帰ってくるのを期待していないということです。どういうことか。私はmixiとあと2つSNSをやっていますが、そこではそこの人たちが興味あることしか書けません。書いても意味がありません。でも私が書きたいことは存在する。自分の気持ちをはっきりさせるため、自分自身が忘れないために、私はこのブログを始めた。メモ帳じゃなくてブログだったのは多少は人に見られるかもしれないという緊張感があると少しはわかりやすい文章を書くように心がけるだろうと思ったからだ。自分が後で読んでもわかる程度には。あらゆる話題が書けるのです。

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